隣の肉便器さん(期間限定ver) 37

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館川修

 廊下に出て、電話をする。
「しつこいのよ、ホントにもう」
 美希の怒りはわかる。しつこいといっても、複数の媒体が入れ替わりくるからそう感じるわけだろう。聞きたいこと、言わせたいことも同じだ。
「いまどこ?」
「ナポリンの部屋よ。彼女にシャワー浴びさせて服を着てもらっている」
「よかった。中断したんだね?」
「ええ。だけど、部屋に入れるわけにはいかないじゃない?」
「入れちゃダメだ! マンションにも入れちゃダメだよ」
「だけど、エントランスに人がたくさん来てるのよ」
 こうなったら、マンションの外に出るしかない。
「幹事会社はどこかって聞いてみてくれ」
「幹事会社?」
「記者クラブの幹事だよ。そこが来ていたら、まとめてくれる」
「で、どうなるの?」
「個別にガンガン来ることは防げるけど、そのかわり、外に出て事情は説明しないといけないだろうね。まず敷地の外に出てもらうこと。その前にオフレコであることを明言してね。撮影はされちゃうと思うけど、こっちがオフレコだと宣言すれば勝手に公表はできない。つまり顔も音声もぼかすことになる」
「わかった。それから?」
「あとは……。印象は悪いかもしれないが、念のため二人ともマスクをして。記者クラブに属していない記者たちの中には約束しても守らない人もいる」
「ああ、そうか、そういうやつね」
「自衛するしかないだろう。それと、言葉は丁寧に。低い声で。ぜったいにヒステリックになってはいけないよ。どんな質問も頭の中で一回整理してから答える。答えは簡潔に。余計な言葉を挟まない。頭に来たら少し黙って整理する。感情的になったら、付け入るスキを与えたようなものだからね」
「なにを言えばいいの?」
「ここは正直に。つまり『なにもわかりません』だけ。言葉尻を取られないように、繰り返すこと。しつこく聞いてくるけど『わからない』で通すんだ。怒鳴られても受け流して。『連絡はない』もいいね。あとオサムの仕事についても同じだよ。『よく知らない』とか『わからない』って、やんわりと。それよりも『私たちも困っている』という態度で臨むといいよ。逆にマスコミの人たちに聞きたいぐらいだ、と。君たちは容疑者でもないし、社会的な立場から取材を受けているわけでもないんだからね。被害者の家族とその友人だ。いい?」
「うん。やってみる」
 どんな拷問をしていたのか、聞きたい気もしたが、ぐっとこらえる。いまはそれどころではない。
 それに、そんなことを思いつく自分が怖い。拷問が趣味になりつつあるのではないか。拷問なしには生きていけなくなるのではないか。朝ドラや大河ドラマを見続けるような意味で、習慣になってしまったら。
 ナポリンを拷問できないと、イライラしちゃったりするようになるのだろうか? 禁断症状?
 電話を終えてネットで情報を探すが、幸い、まだオサムの実名は報道されていない。つまり確認のためにメディアはマンションに来ている。どうせリークしたのは外務省関係かオサムの仕事関係か、ヘタをするとパルダ国筋なのかもしれない。
 外務省の人が来たときは得られなかった実感が、こうなることでしっかりと感じられた。
 オサムは大変なことに巻き込まれている!
「なにやってるんだ……」
 慌てて戻ったらエントランスが大変なことになっていた。
 ああ、美希。メディアを中に入れちゃったのか! 「敷地の外」はけっこう重要なポイントだったんだけどな。こちらが強気で主張できるのは、それぐらいなんだから。
 ナポリン、具合が悪そうだ。化粧はほとんどしていないので目は落ちくぼみ、白目は赤く泣きはらした感じ。唇は紫色。寝ていないし、拷問されて泣きはらしているし……。
 その横にめちゃくちゃ健康そうな美希。化粧もそれなりにしている。なんて美しい。惚れ直す。美希はこの拷問の間に不思議なエロスを身につけた。ある種の威厳のようなものさえ感じられる。マスクをしても滲み出る。
 加えて男が二人。手前は管理人さんだ。管理会社の制服を着ている。もうひとりはセーター姿の老人。誰だろう。
 僕が中に入ると、美希が駆け寄ってきた。
「中に入れちゃダメじゃないか」
「それがね……」
 と老人を見る。
「誰?」
「管理組合の理事長よ。あの人が管理人から話を聞いて、マンションの外じゃ具合が悪いからって、中に入れちゃったのよ」
 そんな……。
「どうしよう……」
 ただのぶら下がりっぽい取材から、これでは正式な記者会見になっちゃう。テレビが四社入っていて、遠目でも僕の知っている記者やメディア関係者が数人見えた。広いようで狭いのだ。
 僕は絶対にこれに巻き込まれてはいけないし、美希が僕の嫁ということさえも伏せたい。
 けど、ナポリンは目を細くして、なんだか官能的な表情。そうか、これって恥ずかしい姿をみんなに見られている的シチュエーションなんだ。いわゆる羞恥プレイ。ナポリンは淫らなになっている。
「あっ、三橋さん! 三橋さん!」
 なんてこった、パンナコッタ。
 理事長が僕を呼ぶ……。
 僕は理事長を知らないけど、理事長は僕を知っているのだ。美希とはすでに挨拶を交わしているからだろう。
「いま、いらしたのが、こちらの美希さんの旦那さんで、○○って会社で広報をやっている三橋さんです」
 バカかお前は!
 たぶん美希から聞いたことをまんま、しゃべっちゃう。老害ってこういうのを言うんだよね。年を取ると些細なことは気にならなくなり自己中心的になり前頭葉の抑制も弱くなり、子どもみたいになっちゃう。そのくせ見かけ上では経験豊富で明晰な人に見える。厄介だ。
「三橋さん、ちょっとここで、なんとかまとめていただけませんか?」
 理事長。自分で始末できないほど風呂敷を広げておいて、そりゃないですよ。耄碌ジジイ。
 そしてエレベーターがおりてきて、そこから買い物に出るらしいおばさんと、まさかの507のオヤジが……。
 二人ともエントランスの状態にギョッとして、おばさんはそそくさと出て行き、オヤジは僕を認め、すごい形相で睨む。
 マズイ展開だ。
 オヤジは僕を指刺している。おまえ、なにやってんだ! 許さないぞ。やっぱりおまえら怪しいぞ。
 それはこっちのセリフだけど。
 さっと誰かが寄ってきた。
「三橋さん、ここのマンションなんですか」
 最悪の事態。もう見つかってしまった。僕みたいな平凡な顔の平凡なやつは、目立たないことがある意味の特権なのに。めざといやつはいるんだ。だってマスコミだもの。五万人入っている球場の観客席で、キスしているカップルをすぐ見つけるような連中だ。
 こっちは名前が思い出せない。
 東邦テレビだったかな。あ、腕章つけてる。そうだ。東邦新聞系列。メディア界では実力ありそう。
「じゃ、じゃあ、まあ、とにかくいまどうなってるんですか、これ? いま来たところでなにがなんだかわからないんですけど」
 僕はとぼけて逆取材。これをやらないと、余計なことをやって彼らを喜ばせてしまいそうだ。
「えーと、このマンションにお住まいの館川修さんて人が、パルダ国ってほら、昔、酷い王国で革命で民主化したあとテロとか多発しているヤバイところがあるでしょ。あそこで逮捕されたらしいって話が飛び込んできたので」
「なるほど。それは大変ですね」
 情報の出所を聞いても教えてくれるはずはないのでムダな質問はしない。
「それって、犯罪がらみってことですか?」
「それがわからないから困っているんです。これは政治なのか、それとも事件なのか」
「はあ」



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